誰しも生きていたら、多かれ少なかれいろんな経験をする。
楽しいことも、悲しいこともいろいろある。
わたしはあまり、両親と上手に関わることができません。
子どものころから抱いていた違和感を、大人になっても消化しきれずにくすぶっています。
きっと誰にでもあるかもしれない、負の感情です。
完全解決とはいかないながらも、妊娠してからすこしだけ心境の変化がありました。
どうしても許せないと思ってしまったこと
いろいろあって、20歳になるころに実家を飛び出しました。
そこから音信不通にしていたこともありました。
夫と付き合い始めてしばらくして、居所を母に伝えてからは、すこしずつ交流を再開。
ひとり暮らしのアパートの保証人になってもらうため
結婚を承諾してもらうため
こんなとき、子どもって弱い立場です。
なんどもへりくだって、両親に頭を下げたことがあります。(お金の支援は受けていません。)
人生で初めての土下座をしたことも。とっても惨めな気持ちでした。
お願いをしたり、謝ったりする過程のなかで、わたしの心には「絶対に許すもんか」という大きな溝も生まれてしまいました。
と同時に、「親を受け入れられない自分」への「罪悪感」も生まれます。
がんばって感謝しなければ、親孝行しなければ
ことあるごとに、感謝しないと。親孝行しないと。
そうでなければわたしは「ひどい娘」だ、という感情がつきまといます。
ものすごく分かりやすく暴力を受けていたとか、お金を巻き上げられていたとか、そういうことではありません。
そうすると傍から見ている分には、わたしが勝手にわがままで家出して、両親を困らせている図で映るようなのです。
「まだ若いからね、いつか親のありがたみがわかるよ」とか、「お母さんとお父さん寂しいだろうね」など、ちょっと心を開いたひとにはよく言われてきた言葉でした。
他人の言葉を気にしない強いメンタルがあればいいのですが、なかなか持ち合わせていません。
でも年を経るごとに少しずつ、少しずつ、自分と向き合っていくことができたので、無理にがんばらなくてもいいかな。と思うようになってきました。
無償の愛は、子どもから親へ贈られるもの
よく親が子どもを愛するのは、「無償の愛」なんて表現をします。
ですがわたしは、反対だと思っています。
親が子どもを欲しがるのも、子どもにどんな人間であって欲しいと願うのも、親のエゴです。
実際わたしも、どうして子どもが欲しくて妊娠したかというと、単なるエゴだと感じています。
だって、本能的にどうしても欲しかった。
楽しいことばかりの人生では決してないことを、ちゃんと理解していながら、それでもわたしのところへ生まれてきて欲しいと思っています。
反対に子どものころのわたしは、というと。
お母さんとお父さんが悲しくならないためなら、手段をいとわず何でもやっていたのです。
自分が楽しくないことも、本当は思っていないことも、なんでも。
今でも両親には、幸せであって欲しいと思うし、感謝もしています。
純粋に100%でプラスの感情を持っているかというと、全くそうは思えませんが、嫌いではないです。
これからは自分の家庭で生きていくから
一旦、自分の両親との確執をなんとか解決しようとがんばるのは、やめようと思いました。
お腹の赤ちゃんと、わたしを大切にしてくれている夫のほうが、ずっとずっと大事だからです。
結婚してもまだ踏ん切りがつかなかった思いが、不思議なことに妊娠して母になる過程で変わってきています。
今回の出産でも、当初は里帰り出産を考えていました。
赤ちゃんの病気がわかってから、両親に相談を持ち掛けたときに、決定的にわたしの中で「もう無理はやめよう」という気持ちが芽生えました。
甘えたり、頼ったりしてみたかったけれど、わたしが心を許せない相手にがんばって寄り添うのは、一旦終わり。
夫との話し合いの末、育児休暇を取得してもらい夫婦ふたりで乗り越えることを決めました。
これがもしかすると、本当の意味での「親離れ」になるかもと淡い期待を持っています。